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いのちを尋ねる

お知らせ

今回は少し話が難しくなります。

先日お墓を見学に来られた方から、何故法事をやるのですかと宗教的意義をお尋ねいただきました。

 

フランスの画家のゴーギャン氏が「人間はどこから来てどこへ行くのか」というとても深い問いを発せられました。宗教的意義を想う時に私はこの言葉が心に浮かびます。

頭の良い方であれば、その問いにお答えになられると思います。しかしこの問いに人はどなたであっても答えられないのです。

 

何故なら人間の永遠の問いだからです。人間の知識や理性を超えて、人間存在を丸ごと問う言葉だからです。

禅宗に鈴木大拙という先生がおられまして、「肘は外に曲がらず」と言って人間の限界を語っておられます。

 

皆さん当たり前ではないかと思われると推察しますが、人間の限界について、もっと言えば人間の分限についてこのように言い当てられるのは本当に凄い事だと思います。

そして誰でもどこかでゴーギャンの「人間はどこから来てどこへ行くのか」という問いを持っているのではないでしょうか。

ご本人がその事にお気付きになられているかどうかは別にしてです。

 

鈴木大拙先生もおそらくは持っておられて、お尋ねになられたご自身の歩みを通じて「肘は外に曲がらず」とお話になられた。

人間の永遠の問いに向かわせるいのちが、ひとりひとりに有るように私は思います。

 

そのいのちが法事という形になって実は習慣化されている。

そして縁ある人の死を通じて尋ねて行こうという深い志が法事の根っこにあるように感じます。