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ストレスは悪者か。
お知らせ先日雑誌の記事で、元アナウンサーの丸岡いずみさんのお話が載っていました。
丸岡さんはアナウンサー時代とても忙しくお仕事をされていて、ご自身の性格も人に負けるのが嫌で負けず嫌いだったようです。
アナウンサーになる位ですからとても厳しい競争を勝ち抜いて生きてこられたと思います。
アナウンサーとして忙しい日々を送るうちに無理が重なってうつ病になられて仕事も休職して実家の徳島に戻られて生活を暫くされたとありました。何もやる気が起きなくて一日中部屋で寝ていたと当時を振り返られて親にとても心配をかけたと語っておられます。
そしてご実家のお父さんが農家をされている方で、ゆっくりと病気の自分の世話をしてくれたと、その父親のお陰で病気が良くなってきたとありました。
記事を読んでなるほどなと思いました。私自身も同じだったのですが競争社会で生きていますと大きなストレスと不安を感じます。仕事は上手くいくだろうか?結果が出るだろうか?
人からどう思われるか等々。その中でうまくいかないと自分を責めます。生き方も大変狭くなり損得や勝ち負けだけで喜んだり悲しんだりします。
多くの方がこの様な思いは同感できるのではないでしょうか。
変な言い方ですけど、このような状況にある場合は病気になるのが正常ではないでしょうか。自分の生き方に痛みを感じる場合は悩んだり・うずくまったり・悲しんだりするのが当たり前だと思うのです。
逆にそのような生き方になっているにも関わらずにケロッとして何事も無いように、痛みを感じないで生きている方のほうが、実は傷が深いのではないでしょうか。
例えば風邪をひいたときには悪い菌を殺すために熱が出ます、もし熱が出なければ大変なことになってしまいます。逆説的な表現ですがそう思います。
そして痛みを感じるときはチャンスでもあるわけで、自分の生き方を振り返る機会です。知っているつもりで知らないのが自分の事です。科学が発達して遠い世界の事がすぐにわかる時代ですが一番近くの自分(いのち)について知ることは人間は苦手なように感じます。
丸岡さんのお父さんはいのちを育てる農家の方です。育ってくるいのちに合わせて待つことをよく知っているのでしょう。ですから病気になった娘を引き受けて治るまでじっと待たれた。
人生色々と大変なことが起こり私たちは傷つきますが、じっと回復するのを待っていてくれる人が居ればそれが救いになるのだと思います。
人が本当に求めていることはそういう存在なんでしょう。