副住職のはなし
死から生へ
副住職のはなしこんにちは。最近寒くなってきたので飼い猫が布団に潜り込んでくるようになりました。
私の足の間に寝転んで脛を枕にして寝るので私はネコに気を使って寝返りが打てません。でも可愛いので許しています。
私は映画が好きでよく見るのですが、この前パイレーツオブカリビアン・最後の海賊という映画を見ましてその中のセリフが心に残りました。
映画のストーリーは死んで呪われた海賊と主人公の海賊が争うという内容なのですが、そのセリフが死んだ海賊が、生きている海賊に恨み言を言いたいが、・死んだ者には言葉が無い・
から代わりに伝えてくれないかという事を言います。なるほどなと思いました。
死んだ者には言葉が無いとはとても深い味わいのあるセリフです。
仏教では死というのは普段我々が使う死ともう一つ別の意味がありまして、自分の事に暗く善悪で自他を裁く生き方をしている者という意味があります。その意味において映画でセリフになっているように・死んだ者には言葉が無い・と私も思います。
言葉とは、宗教が違って申し訳ないですがキリスト教のヨハネの福音書では・太初(はじめ)に言葉があった、言葉が世界を創った・とあるとお聞きしました。その言葉とは例えれば砂漠の中にあるようなオアシスの水のような言葉、いのちを愛して育てる言葉なのでしょう。
そのいのちの言葉に触れるとたとえ自他を裁いているような生き方をしている者も蘇る、再び生まれて自己を学んでゆく、文字どうりの生活が与えられる。そのような言葉をとうして自己に暗い私が、師に出逢い・友達に出逢い・自己に出逢う。その出逢いを喜んだ人々の歴史が仏教の教えとしてお経に書かれているのではないかと、私の浅い学びの中からですが思うのす。