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副住職のはなし

一隅を照らすこれ即ち国宝なり 最澄さんの言葉

副住職のはなし

京都と滋賀県の間に比叡山という山があります。比叡山にはお寺が沢山あり仏教の伝道道場として、いにしえより歴史があります。開いたのは伝教大師(でんぎょうだいし)最澄(さいちょう)というお坊さんです。

 

最澄の言葉で伝わっているのが「一隅を照らす、即ちこれ国宝なり」という言葉があります。

 

東洋経済新聞の記事で自動車メーカーマツダの社長の座右の銘で社長曰く、ひとりひとりが努力をして社会や国を良くすることが国宝だと解説されていました。

縦に伸びる上昇志向の言葉として最澄の言葉を受け取っておられる。でもそうではない気がします。

 

この言葉は私自身を深く見つめる仏様の眼差しを語っている言葉です。私が仏様から案じられている。決して仏様は良いとか悪いとか判断するために私を見ているのではなくて、私を案じておられる。

ちょっとビックリしませんか。仏様のほうから私を心配してくれている。

 

様々な苦悩を抱えてやがて病気になったり老いたりして死んでゆく私です。

その私を心配してくれている、決して病気になっても老いても悩んでもその人を軽んじないのが仏様です。その愛情をすでに一人ひとりが受けているのです。

 

ですから最澄さんは一隅を照らす、即ちこれ国宝なりといって仏様の愛情に気づいてください。そして上昇志向ではなくて深く自分自身はどういう身を生きているのか、道を求めなさいと奨めているのです。

 

それが最澄さんの言葉の続きに、「国宝とは何物ぞ、宝とは道心(どうしん)なり」と述べておられる所です。仏様に人生を尋ねなさい、それを道心という言葉で表しています。