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副住職のはなし

近況報告

副住職のはなし

四月五月と人と会いお話をする機会が多くありました。お茶を飲みながらゆっくりとお話させてもらう機会もあって普段はお話出来ないかたとも親しく交流が出来ました。

 

そんな中で長岡の先生のお寺でお取り越(報恩講)が5月にあったのですが、今年はコロナでいつもお話に来る三重の先生が来られなくなり急遽私が代役ということで拙いながらもお話をさせていただきました。偶然にも大切な友達も参加されて皆さんの前で自分の志をお伝えしました。

 

お坊さんになったきっかけを、人間が物になって生きなければならない、そのようにして辛うじて生きている身にいのちが蘇る物語があると、自分は先生や一緒に学ぶ友達との出会いにおいて物になって生きる私の生き方が、いかに狭い世界を生きているかと教えて頂いた事をお話ししました。

そして先生や友達との出会いを転換点として物ではなくて人として生きることを回復したいとの志を与えられたように思います。

 

特に私を苦しめたのが善への意識です。世の中の役に立たなければいけない、出来る私でないと周りから見捨てられてしまうのではないかという妄想に苦しみました。今も消えたわけではないのですが、出来ない私でも受け止められる場があります。それは聞くという所にのみ開かれる世界なのです。

浄土に往生するとよく申しますが、聞くことにおいて開かれる世界を浄土と言い、往生とは聞く人の生活態度を表しているのではないかと感じるのです。

 

そうしますと善を目指して・迷い・悩みをなくし・役に立つ自己を目指していた私はその過程において、弱い自分を捨てていました。その捨てられた自分はいったいどうなるのでしょうか。よく聞かなければと感じています。