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副住職のはなし

半年に一度の大掃除

副住職のはなし

6月の末からお寺の掃除をはじめで今日の夕方ようやく終わった。梅雨の時期は雨安居(あめあんご)と言ってお坊さんが集まって修行したり聞法したりするのであるが、私は友人とお寺の掃除をすることにした。

 

周利槃特(しゅりはんどく)というお釈迦様の弟子いる。この方は弟子の中で一番愚かと伝えられる人物である。

私はこの人がとても気になる。

周利槃特について言われることは修行出来ない人であるから掃除をして悟ったと聞くことが多い。修行は掃除よりも位が上の行いであるとの認識を多くの方が抱いていないだろうか。この辺りに大きな問題がある。

 

難易度の高い修行をすると人から褒められる。京都では千日回峰行という3年山を歩き回る修行を達成すると、【生き仏】として新聞などのメディアで取り上げられる。失礼な言い方になるがこの修行を達成すれば地位や収入に恵まれるのではないだろうか。それならば3年修行に耐えるのはそれほど難しい修行だろうか。

 

そもそも修行を修行として行える身なのだろうか。身の程を知るという言葉があるが、修行がいつの間にか仏教を学ぶ目的から外れて世間の名誉や財を求める行為に変質する過程を真面目に修行した事があれば必ず経験する。

むしろ初めから仏教を学ぶふりをしていた自己の身の程を知るのではないか。吃驚するのは、そのような私が仏様から呼びかけられ祈られているのである。