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副住職のはなし

仏教のはたらき

副住職のはなし

「源空光明はなたしめ 門徒につねにみせしめき 賢哲愚夫もえらばれず 豪貴鄙賤もへだてなし」(真宗聖典P499)

という親鸞聖人が読まれた和讃があります。源空とは親鸞聖人の師の法然上人のことです。

 

源空光明はなたしめ に注目したいのですが、光明をはなつとはどういったことでしょうか。

 

仏教や宗教に詳しい方ならば光明は救いを表していると感じられると思います。大正解であります。

 

しかし光明と表現される救いとは何でしょうか。光明とは自分自身を照らす光なのです。照らされる光によって始めて自分自身がどのような身を生きているのか自覚することができます。

けっしてそれは、法話で聞かれる感謝やありがたいという言葉で収まる事ではなく、寧ろ深く受け止め沈黙せざるを得ないと思います。

悪戦苦闘して人生の条件闘争ばかりしているなと私は感じます。しかし驚くことに、その様な私と仏様は運命を共にして下さいます。

 

愛情を感じるとき人は世界が初めて披けるのでしょう。

 

3月24日はお彼岸法要です、手を合わせて一緒に仏教を学んでください。よろしくお願いします。