新着情報

副住職のはなし

人間であることの弱さを抱えて生きる人

副住職のはなし

こんばんは。急に寒くなりましたが皆様如何お過ごしでしょうか。

 

私は少し風邪気味で右側の鼻が詰まっています。今深夜の2時過ぎですが飼い猫に起こされて眠れそうにないので少し書こうと思いPCに向かっています。

 

今回書かせて貰うのは昔のお坊さんで加古川の辺に住んでおられた教信沙弥(きょうしんしゃみ)という人です。

親鸞よりも前の時代を生きた人で奈良の興福寺で修業したと伝えられているのです。興福寺のHPを見てみると、とても優秀で興福寺で仏教を極めて民衆を教化したと書いてあります。エリートだったという事のようです。

 

わたしは本当にそういう人なのかな?と思います。教信沙弥は親鸞がとても尊敬していたことで知られていて分身の定(ぶんねのじょう)と言われていました。分身の定の意味はこの人の様に生きたい・親友・などの意味があります。

教信沙弥のことについて詳しい文献がないのですが、ある先生からお聞きした話では加古川の近くに住んで渡し船で働いたり、人足の仕事要は肉体労働をされていたようです。

そして亡くなったときはお金がないので家族が竹藪に葬ったと、そして村の人や家族が泣いたと聞いています。

 

これだけしか分かっていないのですが、私の察するに興福寺で修業されたんだけど上手くいかないでドロップアウトした人でないかなと感じます。

修業は人に強さを求めそして必ず弱さを侮ります。弱さを抱えたり・失敗したり・悩んだりして座りこんでしまう人を、それはあなたが悪いとして切り捨てます。

強いことを善とし弱いことを悪として徹底的に排除しようとしますが、仏教の修業とはそういう人間の善悪感とうして、良いとか悪いとか言っている私自身を根底から丸ごと問うことです。

つまりお経の言葉を知性で理解することではなくて、お経の言葉が開く世界を尋ねる事なのです。教信沙弥に話を戻しますと沙弥は修業に失敗して人生に泣いたんでしょう。そして興福寺を去り苦労する生活をして生涯をかけて挫折を抱え、その弱さを仏教に尋ねた人ではないでしょうか。同じように弱さを抱えた人々を宗教者ぶって教化することもなく、弱さを抱えた人と共に歩んだ人ではないかと私は思うのです。ですから沙弥が亡くなったときはみんなで泣くしかなかったし、その涙は悲しさだけでなく、共に歩んでくれた人に出会えた喜びの涙でもあったのでしょう。