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副住職のはなし

真面目な仏教のはなし・悪人往生

副住職のはなし

先日月参りに伺った所で門徒さんと仏教の話になりまして。その方がお葬式に出てそこでお話されたお坊さんのはなしが興味を引いたという事でした。

 

そのお坊さんのはなしは、死んだら三途の川があって船で川を渡っている時に老婆が出てきて、善い行いをした善人は浄土や天国へ、悪いことをした悪人は地獄へ引き込まれるという話を聞いて成程と思われたそうです。お坊さんは難しい話ばかりしないでわかり易い話をしてほしいとも付け加えられました。そこで私(副住職)もその浄土と地獄のお坊さんの話をお聞きした感想をお話ししました。

 

次の様なことをお話しました。確かに天国と地獄の話は分かりやすいですけども、果たして自分(副住職)は天国・浄土にいけるのだろうかと思います。自分の人生を振り返ってみますと嘘と言い訳の歩みですと申し上げました。ですから私はそのお話ならば地獄へ行くと思います。

そしてその方にあなたはどうですか?とお聞きしましたら、私は言い訳位はするけど嘘はついたことが無いとおっしゃられました。そして親鸞の浄土真宗は悪人も救われるという話をしたら、それは信じられないとの感想をおっしゃいました。ごく普通の意見だと思いました。

 

善人と悪人で人間を分けるならば自分だけは善人であると思い、悪人は自分ではない他者であるとの意見はよくお聞きします。

 

しかし本当にそうだろうかと感じます。自分を立てるために・自分の意見を貫くために・自分の想いを実現するために・自分が掲げる正義を人に押し付けるために他人や自分自身をも、どれだけ傷つけたり・疎外したり・見下したりしているか。善人はこの点が抜けています。

仏教では善人・悪人とは人間自身をを2つの言葉で表現をしたもので、あなたは悪人、私は善人と分ける意味合いではないように感じています。仏の知恵によって善人・悪人と表現されているのであって、人間の理性・考えで述べた言葉とは違うと感じます。

私たちは普通高い所へ上がって助かると考えますが、浄土真宗は逆で低いところで助かるのではないですか。

 

 

そして阿弥陀様は人を捨てない仏様だとお話しましたら、ずっと隣で話を聞いていたお爺さんがご自身の戦争体験をゆっくりと語り出されました。人に言えない経験を沢山されたとお話を聞いて推察しました。

そういう誰にも言えない苦しみや苦悩を仏様は知っておられます。自分の苦悩を知っている仏様が真宗の阿弥陀様です。そして決して軽蔑なさらないですよ。もっと上手にやりなさいとか、失敗ばかりであなたはダメだとか、人それぞれの生き方を決して否定しないのが阿弥陀様です。

 

常不軽菩薩(じょうふけいぼさつ)という言葉があります。親鸞の師匠の法然のあだ名です。どんな人も軽く見ないでその方を尊敬してゆく生き方をされました。人をどこで見るか。能力や地位だけで見ていたら常不軽なんて生き方とは反対の生き方になると思います。

そこには人間であるがゆえに皆が抱える弱さを見据える深い眼差しがあるように感じます。