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副住職のはなし

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副住職のはなし

皆さま如何お過ごしでしょうか。毎日暑いですね。

お盆を迎え13日は沢山のお参りの方々と一緒にお経を読ませて頂きました。

本日14日もお参りされる方がお寺にお越しになられています。

 

お盆の時期になるとネットニュース・新聞などで、お墓に関連した記事を目にします。記事自体は前から言われていることの繰り返しで新鮮さは無いのですが、ユーザーのコメントを読むのを楽しみにしています。

合理的に考えられる方が多いと感じています。葬儀に意味を見出せない・死んだ人間にお金をかけるのは無駄ではないか・坊主丸儲けでけしからん(同意。私も大きな儲かっている寺の住職と話をすると首絞めたくなります笑)

 

その中で気になったコメントがあります。「人間は死んだらゴミになる」という言葉です。これは検事総長になった方がお書きになった本のタイトルであると聞いています。

そして「人間は死んだらゴミになる」という言葉が的を得ているとコメントに書かれてありました。

どうでしょうか。「変な事を言っている人がいるね」で済みますか。

 

今の時代は経済が宗教になっている時代です。間に合うか・間に合わないかで人間が裁かれます。間に合う人間は居場所が与えられ、間に合わない人間は居場所が無くなります。人間をやめて物になって生きなければならない時が到来しています。

物は使えなくなるとゴミと呼ばれます。人間であることが失われているのではないですか。

 

そのように考えると同時に感じることがあります。とても深い所から微かに聞こえる声として、私は「どこで人間を我々は回復するのか」という問いが実は「人間は死んだらゴミになる」という言葉には潜んでいる気がするのです。

本当の事というのは逆の表現を取って伝わる。

歎異抄という書物があります。一番最初に学んだ書物なのですが改めて読みたいと感じています。