副住職のはなし
天童荒太の「巡礼の家」
副住職のはなし映画悼む人以来注目している方なのですが、新刊で巡礼の家という小説が出ました。
本の帯に「あなたには、帰る場所がありますか」と書かれていました。その言葉を目にしたときに「人に使命あり」という事を感じたのです。
人は皆誰にでも使命が与えられているのではないか。その使命は帰る場所を求める、とても大事な仕事があるのだなと思いました。
仏教には空過(くうか)という言葉があります。人生が空しく過ぎると。仕事でどれだけ成功しようが、お金を沢山持っていようが、ロケットで宇宙に行こうが人生は空過だと。その空過を超えることが人間の究極の課題なんだと説かれるわけです。
それに対して私ら親鸞の浄土真宗では念仏申せと勧められるのです。そして私たちの先祖は念仏を申してきた歴史があります。
わたしは歴史が好きで歴史本などをよく読むのですが、人間の歴史が語られる本は人々の身・つまり目や耳や口で捉えた歴史が書かれます。遥か昔から現代の出来事が詳細に語られ検証されています。
しかし出来事と書きましたが目・耳・口で表せない出来事もあるのではないですか。意つまり心・人間の内面です。あまり取り上げられませんけども、悩んだり悲しんだり祈ったりしてきた人間の歴史があるのではないでしょうか。
その内面のそれこそ巡礼と言って良いと思うのですが、歴史を取り上げたのがお経ではないか。苦悩の身を抱えながら歩んできた人々が語られている歴史です。それは言い換えれば帰る場所を求めてきた歴史ではないですか。
私らが帰るべき場所は暖かく迎えてくれる方がいるところです。それを浄土と呼んできたのが私たち真宗門徒です。
浄土の仏様は私たちの悲しみや苦労をよく知っておられる。だから暖かく迎えてくれるのです。
すでに帰る場所が与えられています。この苦悩の身を大切に。