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再び聞く

お知らせ

お坊さんになって十数年。最近新鮮さが失われているように感じている。

先日聞法会で講師の先生が言われたことが気になっている。熱が冷めて身が冷えているのだと。それは温度計で測れる体温の事ではなく人生における温もりのことである。

 

親鸞の師の法然は「浄土宗のひとは愚者になりて往生す」と述べている。ここには大切な意味がある。普通、人は賢くなって往生する、言い換えれば助かるのだと。それは強い自分であり人から認められる存在こそ価値があると考えている。しかしその考えこそ冷える元だと法然は「浄土宗のひとは愚者になりて往生す」という言葉で教えている。

「ひとは愚者になりて往生す」とはありのままの弱い私に帰る場所があるという事である。愚者という言葉は帰る場所がわからないことに気が付いて訪ねるひとの事。その愚者に成る。

 

実は身が心が冷えることを通じて帰る場所を訪るという仕事が、どのような人にもあるのだと感じている。冒頭で新鮮さが失われると書いたのは、この訪ねるという仕事を見失っていることである。