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副住職のはなし

得度式で京都へ

副住職のはなし

先日京都で得度式(お坊さんの資格)の介添えを致しました。

 

クルマで新潟から京都まで高速道路をゆっくり走って7時間。富山ー石川ー福井ー滋賀ー京都の東本願寺と景色を眺めるドライブでした。本当は色々寄り道をしたかったのですがお寺をあまり空けられず今回は1か所だけ寄ることにしました。

大谷専修学院という所で私が学ばせてもらった学校なのです。全寮制で真宗を学ぶ学校で、悩みを抱えて道を求める方が全国から集まってきます。同じ部屋で学んだ同期数人が職員をしていまして、10数年ぶりでしたが再会しました。

 

色々な事がお互いにあったねと話すなかで感じたことは、現実に戸惑うという事です。戸惑う中でそれぞれの生き方が繰り広げられるわけです。それで音信不通の方もいれば亡くなってゆかれた方もおられます。逆に戸惑うってことを止めてしまって無感覚で生きる方もおられます。

 

聖典に鬼神という言葉が出てきますが、これは戸惑うことを止めた人の姿ではないかと思うのです。自分の事を振り返ってみると鬼神というのは他人ごとではないなと感じます。

ご立派なお寺の人にならなければ人から見捨てられてしまうのではないか。この恐れが戸惑う事を止めさせるのではないでしょうか。

本当に立派にならなければ人から見捨てられるのでしょうか。尋ねたいと思います。